田舎に泊まろう(四年)

オタクでありたい

やらかし大全

心の余裕がないと、人は信じられないことをしでかすものだ。

心が乱れすぎて、ここ数日間でありえないほどやらかしてしまった。仕事関連じゃなかったことが不幸中の幸いだが、このメンタリティだったら絶対またいつかやらかす。周りが見えなくなってるのは悪い傾向だ。


落とし物をしまくっている。


まず一つ目はスーパーで買い物をした後、出すつもりで持っていた、手紙と葉書を落とした。

ないないと気付いていたけど、特になにも行動を起こさないうちに、警察から手紙が届いた。私の落とした手紙を誰かが警察に届けてくれたのだ。ありがたいやら、情けないやらで軽く泣きそうになった。


しかし、やらかしはそれだけでは終わらない。私の悪いところは、やるべきことを後回しにしがちなところなのだけど、まさに警察へ手紙をなかなか取りにいかなかったのだ。言い訳をするとするなら、朝早く出て夜遅くに帰ってくる取材が続いたこと、休日に警察署は空いてないこと、雨の日ばかりだったことがある(雨だと自転車に乗れないので、どこに行くのにも歩くしかなくなる)。


私は警察からもらった受取り用の引き渡し証を財布に入れて、しばらく受け取りに行かなかった。


そして、取りに行こうと思い立った今日。警察署へ行って、窓口で受取り用の引き渡し証を出そうとした。しかし、ない。入れたはずなのに。

仕方がないので、窓口の人に手紙を落としたことを伝えると、窓口の人はものの2,3分ほどで私の手紙を取り出してくれた。

そして「受領証なんですけど、岩国警察署に届いてますよ」と言った。

どうも、先週の月曜に取材に行った時にバスの中で落としたらしい。本当に情けなくて恥ずかしくて、脱力してしまった。


そのほかにも家ではやかんの水をこぼすし、車の講習では緊張しすぎて(経験も足りないが)うまくできなかったし、ロッテリアではお茶を忘れて店員さんが外まで届けてくれた。


山口の人の優しさでなんとかなっているけど、ほんとうにまずい。

とりあえず時間の余裕と体の余裕のために、早めの行動と就寝を心がけているんだけど、なかなか心自体の余裕につながらない。

本当にまずは早く仕事を終えて、土曜日の朝惰眠を貪りたい。

(嘘だと思うかもしれないけど、なぜかこっちに来て朝方人間になった。7時起き、11時就寝とか。よく寝れてはいるよ!)

ホームシック

お久しぶりです。

山口に来て実はあっという間に二週間が経っていた。

思ったよりも早い。でもやっぱり長い。


私に対しての上司の教育方針は、「自由にのびのびと」らしく、今のところは勝手に電話をかけて各地に取材に出かけている。

今のところ出した企画は全ボツなのだが、もうちょっと継続して取材したら?と言ってもらえたネタができて少し嬉しかった。

他にもいいことは沢山ある。お話を聞かせていただいた方に、新人だということを話したら山口のいいところをたくさん教えてもらった。自分で作った縁がここで始まるんだなと思うと、すごく幸せだ。

職場の人たちも気にかけてくれる。ご飯に連れ出してくれたり、上司が焼肉を食べさせてくれたり、車をくれる約束をしてくれたり(!)、同じ課の人とバドミントンをしたりとなかなか毎日充実していると思う。


怒鳴ってくる人もいなければ、めちゃくちゃ残業させられるわけでもなく、職場環境もよくて、何より自分がやりたかった仕事で、結構楽しくて、いろんなことが本当に恵まれている。ありがたいと思う。


それでも、職場から帰ると言いようのない寂しさだったり、不安だったりが襲ってくる。というか、そういうものは常に自分の中にあって、今はその気持ちを抑えるために絶えず動き回っているような気がする。

だからといって、動いていれば心身健康というわけでもなく、ましというだけで動いていても不安はやってくるし、ふとした時に涙が出そうになる。あと単純に疲れるので、それも精神的に良くない。

そういう時に、もっと没頭しないと!ちゃんと目の前のことに集中しないと!いろんなことをやって自己を忘れないと!と思う。


そういう時に頑張りすぎだよ、とかペースを考えろってよく言われるんだけど、なかなかそれが難しい。

自分のペースでがんばれって言われるのが一番きつい。追い込んでやっていないと、頑張っていない気がしてしまう。

長い目で見なさいみたいなことも結構まだよくわからない。今できる精一杯をやらないと仕事が全然だめだし、自分の出力を調整することなんて今は考えられない。(そういうことが言える人ってお仕事上級者だからなんじゃないかと思う)

こういう不安定な状態だと、いろんなことをマイナスに捉えてしまったり、余計な悲しみ苦しみを背負ってしまっている。

今までなら、オタクをしたりひたすら寝たり友達に会ったりできていたけど、環境が変わったことで、自分を回復させる方法をまた探さないといけなくなってしまった。


それでも少しずつ日々の楽しみはできてきた。

田舎のいいところは自然の変化が心から嬉しいことだ。ツバメの子供がかわいいこと、川でニホンイシガメを見れること、梅雨に入ってアマガエルがいること。自然の小さな変化をキャッチする力が、私の中に芽生え始めている。それは本当によかった。


きっとこういうことを毎日経験しながら、山口の生活には慣れていくんだと思う。今は苦しいけど、慣れていないという点でこれよりも下がることはないと思えばやっていけるかなと思っている。


とりあえず6/22を早く超えて初企画を無事に終えたいのである。


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出発と到着

山口に着いた。東京駅を9時に出て、着いたのは14時。

留学先のドイツよりはさすがに近いけれど、それでもやっぱり遠い。

 

四月に配属先を人事から言い渡された。「山口です」と言われた時には戸惑いと困惑しかなかった。行ったこともなければ、縁もゆかりもない土地だったからだ。ただ、県庁所在地なのに結構田舎らしいという情報を手に、私は山口に乗り込んだ。

 

新幹線から降りた新山口駅は、思ったよりも100倍くらい田舎だった。そして自分が住む駅は想像の500倍くらいのどかだった。

 

東京に住んでいた時は、二子玉から丹沢の山が見えるだけで結構遠くに来たもんだと思ったものだが、今はなにせ四方を山に囲まれている。ガタガタした道を大きなスーツケースを持ちながら進んだ。

 

道の周りにある家はほとんどが庭がついた一軒家で、なぜ自分のアパート探しが難航したのかよくわかった。オートロック・二階以上という条件をそれほど難しいものだと思っていなかったのだが、ここでそんな物件はほとんどないのだということを察した。

 

ホテル到着後、街を散策した。国道沿いはなんだかパッとしなかった。鄙びた電気屋さんとか、看板がないラーメン屋とかが妙に目に入ってしまう。ここに何年も住むのかと思うと絶望的な気持ちになった。

中心にある商店街もシャッターが目立つ。昔は流行っていたんだろうという大衆食堂も今はシャッター街の一部となっていた。さびれた街を見ていると、なんだか物悲しい気持になる。ホームシックを忘れたくて散歩しに来たのになあと思った。

 

それでも何かを見つけたくて歩き続けると、そこは突然現れた。

広いテラスがあって、木を基調とした店内のおしゃれなコーヒー屋さんだった。

古びた商店街の中で明らかに浮いているくらい、都会的(これが褒め言葉にするのにふさわしい言葉かわからないけど)なお店だ。私はそこへ吸い込まれるようにして入っていき、本日のカフェオレとチーズケーキを頼んだ。

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コーヒーもチーズケーキもものすごく美味しくて、こういう場所があるならちょっとやっていけるかもと初めて思えた。

 

後からこの記事を見たら、なんて山口を馬鹿にしているんだろうと恥ずかしくなるのかもしれないけど、今はやっぱり東京が恋しいし、少しでも都会的なものをたぐりよせたくなる。いつかここの空気とか、時間の流れとか、環境に慣れていくんだと思うけど、今はまだ少し肌馴染みが悪い。

 

なかなか前向きじゃない自分を認めつつ、少しずつ前に進んでくれると願っている。

好きなもので機嫌を取りながらやっていこうと思う。

 

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これをプリントしようと思ったファミマで同期二人と会ってうろたえた

 

 

 

 

山口の日記

山口に働きに来た。

 

この数カ月間、特にこの一か月間情緒が不安定だったのはたぶんこのせいだと思う。

就活の時すでにどこかしら地方に行くことはわかっていたし覚悟はしていたけれど、いざ離れるとなるとやっぱりつらい。不安で仕方がなく、地元や家族・友人たちと切り離される悲しみでおかしくなりそうだった。

仕事に対しての不安もけっこうある。

研修をしていて、講師の人が言っていることを理解したいんだけど、全然わかんね~~という瞬間が明らかに人より多かったように思う。本当に全然わかんね~~となった。

昔からなりたかった仕事に就けたはずなんだけど、人は難しいもので、そんな気持ちはもう忘れてただ不安だし、できるなら働きたくなくなってしまった。就活のときの意識が高かった自分、早く戻ってきてほしい。

 

文章を書くことは自分と向き合うことだ。ということは、これらの感情とも向き合わなくちゃいけないということなので、それが怖くて全然文を書けないでいた。

でも今日、えいやっとやって来ると、体の中に話したいことが溜まって仕方がない。一人の時間が増えて、とりあえず体の中の言葉とか今日あったこととかを排出したすぎる。

なので、此の場を借りて日記でも書いていこうかと思う。セラピーみたいなもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

生き方について考えた

 

この週末の余韻が、月曜の夜の今でもまだ残り続けている。

土曜日の朝、七月に日本に来たドイツ人の女子高校生と遊ぶ約束をしていて、会うことになった。ブロンドですらりとした長身の彼女は、現在インターンをしている会社の社長の娘さんで、おしゃれでかわいらしい。

彼女は今日ポロに連れて行ってくれると言って、私を誘ってくれたのだった。ポロなんて、ラルフローレンポロのロゴ以外何も知らなかったが、面白そうなのでついていくことにした。スポーツ観戦に違いはないので、甲子園の応援のようなイメージで、シャツとジーンズにスニーカーという動きやすい服装で出かけた。

会場に着いたとたん、私は大きな間違いを犯したことに気が付いた。真っ白なテントに、赤い絨毯、その上にはロールスロイスの展示。外国の雑誌で見るような、花柄のワンピースに大きな帽子。見たことないほど美しい女性や、さわやかにポロシャツを着こなした男性がいちごの入ったシャンパンを飲んでいた。映画マイ・フェア・レディに登場する競馬場の様に、美しい人が美しい服を着飾っている光景があった。

それに対して、自分のなんとみすぼらしいことよ。上に着ている紺のジャケットは、洗いすぎて白みがかっている。不慣れな場所に来たという自覚もあって、一気にみじめな思いが広がった。周りを見れば美青年ばかりで、初めてもうイケメンはいらないと思った。アジア人の平たい造形をした自分の顔がひどく醜く思えた。

「なんでも取って食べていいから、飲み物もタダだよ」と言う女子高生の慣れた様子もますます私を緊張させた。この夏に買ったという黄色いワンピースに黒いハイヒールが青い芝生によく映えていた。女子高生のほかに、その親友(男子)、女子高生の兄の親友&彼女、女子高生兄の彼女も会場にやってきた。肝心の兄抜きで、仲良く遊ぶ彼らの関係性の爽やかさと洗練された身のこなし、そして彼らが皆年下であるという事実に、ポロが始まる前から私の胸は締め付けられそうだった。

 

しかしそんな状態で見てもポロは面白かった。躍動する馬と人間が、激しくボールをめぐって戦う姿にうっとりとした。ポロは馬に乗ったままするホッケーのようなもので、もっと平たく言えばサッカーに近い。観客席の近くに馬が来るたびに地面が揺れ、観客が声援を挙げた。全速で走る馬の肉体の美しさに目を離せなくなる、はずだった。のだが、私は隣にいる二人を凝視した。

女子高生と自称親友が鼻をこすり合わせていた。

????????いいの????という気持ちになりながら、もう一方の隣を見た。

女子高生兄の親友とその彼女が深い口づけを交わしていた。その傍らで兄の彼女は、何事もない素振りで携帯をいじっていた。これはドイツでは普通なのだろうか。自分にとっては大問題が、なんでもないような扱いなので、ただ戸惑うことしかできなかった。

 

せっかく連れてきてもらったポロだったが、会場の華やかさと自分の周りで起こっている異性交遊にただあっけにとられるばかりで、それ以外のことをよく覚えていない。

 

ポロが終わって、彼らはホテルのバーに誘ってくれた。ティーンの彼らに「ホテルのバーで遊ぶ」という発想があることに驚いたし、自分たちで運転をしてホテルまで行く自立した様子にもただ感心するばかりだった。友達とお茶をして喜んでいる自分がひどく子供に思えた。

 

バーでは特に何もなくお開きになったのでこれで一日は終わった。日本では絶対に体験できないようなことをさせてもらったのにも関わらず、とてつもなくショックだった。

まず、世の中には見た目が素晴らしく、頭もよく、お金もあり、性格も申し分ないという人がいるという衝撃。あまりのキラキラぶりにインスタもびっくりだ。彼らと撮ったポロでの写真は驚くほど映えた。そんな人といるとすごいなあと思う前に、自分には何があるんだろうと考え込んでしまう。

一番悲しかったのは、おしゃれな場所に行っても、ほとんど楽しめずリア充になりきれなかったことだ。門限にうるさい父親がいなくなり、環境が変われば自動的にパーティーや飲み会といった場所を楽しめるようになると思っていた。私は「あえて」静かに、真面目に生きているが、その気になれば華やかな場所も行けるとのだと。しかし実際は、私はそのような場に全く馴染めなかった。劇研時代、ずっとオールができなかったこともあり絶対にそのような場が楽しいと信じていたが、人が多い場所は怖かった。苦手だとしても少しくらい楽しみたかった。しかし気持ちがついてこなかった。

 

なんでも楽しいと思えたほうが、人生は楽しいだろう。なんでも慣れたら楽しくなるのだろうか。だが面倒なことに、にぎやかな場所が苦手な自分を好きな自分も確かにいる。厭世的な生き方をかっこいと思うこともある。自分である限り、この中途半端な気持ちとしばらくは付き合うんだと思う。

 

たまらずもう無理と送った母からのlineが、これからへのヒントなのかなと思った。

「長いスパンでかんがえなさい、この一年まだあるんだから」という言葉でだいぶ楽になった。

少しずつ楽しいことが増えていくといいなあと思う次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

昔から、文を書く仕事に憧れていた。

 

本を読むことが好きだったということもあるが、自分の頭の中にある文豪のイメージ—古い洋館の一室でコーヒーを傍らに万年筆で原稿用紙を埋めていくような—は、私のイメージする、かっこいい大人そのものだった。

 

そのせいかずっと物が書きたかった。なんなら自分は書くことが得意だと思っていた。気まぐれで書いた文が人に褒められたという経験は、そう思い込むのに十分だった。しかし、自分を振り返ってみると、私はあまりに書いたことがなさすぎるということに気づいた。

いつか、自分は何かを書けると漠然と思っていた。でもそれを待っている限り、たぶん何も形にならないだろうなと悟った。一人暮らしを三ヵ月して、寂しくて死にそうな思いをしても、書こうという気が起こることはなかったからだ。

 

だからここで少しずつ私が思ったことを、ある時は独り言のように、ある時は日記のように記していきたいと思う。なんでも形から入る人間なので、自分の書く場所を作ってしまおうという魂胆である。どこに何を書いたらいいのかわからないという言い訳はもう通用しない。これで早く追い込まれればいい。

 

また、このタイミングでこのブログを開設したのには、もう一つ理由がある。現在ドイツに暮らして通算3か月が経とうとしている。しかし外国語を使って生活するうちに、日本語で文を書いたときに感じていた、自分の文章がかっちりと決まる感覚がどんどんなくなっているように思うのだ。これを書いている現在も、自分の文章がふわふわと浮いているような感覚に陥っている。これはいけない、一刻も早く書き始めなければと思った。

 

この先、自分が憧れていたように文を書く仕事に就くのかはまだわからない。けれど、書くこと・残すこと・伝えることを、自分の中で大事にしたいという思いは強くなっている。だから、ただやってみたいのだ。

 

これから一年ドイツに滞在する中で、好きなものややりたいこと、もしくは嫌いなことや苦手なことがどんどんアップデートされていくだろう。その経験の中で何を考えて、どんなことに悩み、何をしたのか。後から読んで恥ずかしくなったり、微笑ましく思ったりするような、そんなものをここにたくさんおいて置きたい。

 

これからとりあえず一年。私のささやかな冒険にしばしお付き合いください。